西側をイタリアとの国境とするヴィパーヴァ谷は49km東から西へと谷を越えて続き、そしてイタリアのイゾンツォ川(スロヴェニア語ではソツァ川)へとつながる川の名前からきています。
トゥルノーヴォ森高原の尾根の間を北へ、カルスト高原の丘を南へとなるこの谷は地中海性気候と高山気候の混合された大変珍しい気候が特徴的です。春は暖かく、比較的暑い夏、そして冬も穏やかな寒さの過ごしやすい地域です。しかし秋終盤から冬にかけてBurja(ブーリャ)イタリア語ではBora(ボーラ)という風速200kphにもなる強風が吹きさらします
この地域ではこの強風で吹き飛んでしまうタイルの屋根ではなく、石や岩が使われていることは珍しくありません。
しかしながら、この時々突発的に吹き荒れる風が雲を吹き払い、ヴィパーヴァ谷をスロヴェニアで1番快晴が望める場所へします。
この地域は広くスロヴェニアで最古のブドウの栽培地として知られており、その起源はケルト・ローマ時代まで遡ります。
中世の歴史文献の中でもすでに、ヴィパーヴァ谷のワインの品質と人気について述べられておりハプスブルグ帝国中、特にウィーンでは賞賛の的でした。
そして1844年には、地元の神父Matija Vertovec(マティーヤ・ヴェルトヴェッチ)氏によって“Vinoreja za Slovence ”(スロヴェニア人のためのワイン生産)という本が出版された。これはスロヴェニア語で書かれた初めてのワインブドウ栽培と差ワイン造りの専門書です。この本の中でもかなりのページを使ってヴィパーヴァ高原について説明しており、この時代におけるこの地域で育てられていた品種についてやワインのラインアップを掘り下げて書いています。
特にこの書物に書かれたことで興味深いことは、「スキンマセレーションの時間は24時間から30日間が望ましい」と書かれています。この長いスキンマセレーションは文献として残っている最古の伝統的な手法であり、ヴィパーヴァ谷地域がオレンジワインの中心であったことを示しています。
そしてスロヴェニア初のブドウ生産・農業学校はヴィパーヴァ谷町の近くスラップ村に1873 年に設立されました。そして今日では、ヴィパーヴァ町としてこの学校を国際的にブドウ栽培・醸造学校として認めています。
実際に、ブドウ栽培はこの肥沃な谷における主要農業分野(60%)であり、この地域全面積350 km²)のうちの3000エーカーをも超える土地がブドウ畑として覆われています。
ワイン造りはこの土地の“A way of life(生き方)”として本当に根付いているのです。